実家は、100年以上続いた老舗割烹旅館大黒屋、それなりの裕福な生活をしていたんだと思う。買い物は、つけで済んだし、移動は、タクシー、外商は、三越だったかな、忘れた、女中さんは、2人、多い時で、3人。夜ご飯は、おやじと自分と兄貴が先で、おっかあと女中さんは、後から食べる。確か、カラーテレビは、うちが一番早かったと思う。そんな田名のお坊ちゃまも、今じゃ、狭~いアパートに、奥さんの久美さんと2人。久美さんは、久美さんで、実家は、自分と同じ波乱万丈。自分は、田舎のお坊ちゃまだけど、久美さんは、茅ヶ崎が実家の生粋のローカルで、日本橋に本社があった大会社の長女。最初に見た時、ゴルフのガプリオレを乗っていたなあ笑。なんで、こんな事を思ったかと言うと、自分の今、住んでいる辻堂太平台の周辺には、おしゃれな一軒家ラッシュ。今、自分は、どんどん家が小さくなっていく、それも持ち屋ではなく賃貸笑。次に引っ越す時が最終の家になるのかな。そんな事を考えながら、茅ヶ崎の花火に、後ろ髪はないけれど後ろ髪を引かれながら、今夜も夜勤に行くのでした!。